第二十三幕 アルベール・カミュ「異邦人」




フランスの作家、哲学者、アルベール・カミュの代表作。

不条理文学の傑作と見做されている。

1957年度のノーベル文学賞を獲ったフランスの作家、アルベール・カミュの代表作っす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
カミュは43歳という若さでノーベル文学賞を獲ったんだよな?
そのとおりっす。これは歴代で二番目の若さに当たるっす。ちなみに歴代最年少はイギリスのラドヤード・キップリングで、41歳での受賞っす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
『異邦人』はあまり本を読まない人でも、題名だけは知っているかもしれない。中編小説ほどの長さだから、読んだことのある人も多いと思う。
カミュがその若さでノーベル文学賞受賞に至ったのは、『異邦人』の力に依るところが大きい、と言われているっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
カミュの作品と言えば、この『異邦人』と『ペスト』が有名だな。『異邦人』は『ペスト』よりも高い評価を受けているのか?
結論を言えばそうっすね。カミュは哲学者としての一面も持っていた。『ペスト』はカミュの哲学者の面が強く出すぎていて、小説としては技法がやや崩れている、と評されているっす。そのため、小説としての完成度は『異邦人』の方が上と認められているっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
題名の「異邦人」は普通、外国人、という意味で使われるよな。
言葉の意味通りに受け取るならそうなるっすね。ただ、この小説においては、「キリスト教的倫理観」から外れた人間、と解するのが良さそうっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
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確かに、主人公のムルソーは人間味が欠けているように描かれている。実際に人間味が欠けているのか否かは難しい問題なのだが、ムルソーの周囲の人間は彼をそのように見做す。
窪田啓作訳の冒頭文、「きょう、ママンが死んだ。」は有名な一文っすね。ムルソーは母親の葬儀が済んだ翌日、女友達と遊びに出かけて、情事に耽る。ここで読者はムルソーの行動に不可解なものを覚えるが、まだ道徳観を失った人間、とまでは判断できない。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
ただ、物語終盤の法廷において、ムルソーは母親の葬式の翌日に、平然と暮らしていたことを糾弾されるな。
あるとき、ムルソーは友人たちと海岸へ遊びに出かける。その場所で、ムルソーはアラブ人との口論に巻き込まれ、もののはずみで相手を射殺してしまう。この殺害のシーン、ムルソーは明らかに殺意を持っていなかった。まるで呼吸をするように、自然なこととして人を殺してしまう。ここでムルソーの異常性が明確になるっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
ムルソーがキリスト教的、及び一般的な道徳規範が欠けていることは間違いがない。だが、なぜ、彼に道徳規範が欠けているのかは作中で説明がない。おそらくは先天的な気質だ。
けれども、人間というものは多種多様である以上、そのような人間は現実にも現れるっす。ムルソーのように殺人を犯すに至らずとも、誰もが何かしらの点で社会的な欠点を持っているっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
『異邦人』はそのような社会的な欠点を持った人間が、社会のなかでどのように崩壊していくかを書いた作品だ。
逮捕されたムルソーは裁判にかけられる。そして殺人の動機を聞かれ、「太陽が眩しかったから」と答え、その場に居合わせている人々から嘲笑を浴びる。この台詞、このシーンともにやはり有名なものっすね。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
裁判では母親の葬儀の次の日に女性と遊びに出かけたことなど、ムルソーの行動が逐一、異常なものだとして糾弾が続く。それに対してムルソーも強くは反論しない。
ムルソーにとってはそれが自然なことであって、なぜ糾弾をされているのか理解すらできていないっす。この法廷のシーン、ムルソーと周囲の人々のあいだにコミュニケーションは明らかに通じていないっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
この法廷の一幕は非常に象徴的だ。社会的な欠点を持った人間がいかに人間社会で落ちこぼれていくかの一端が描かれている。ムルソーは周りの理解が得られなかった結果、嘲笑を浴びる、という屈辱を浴びる。だが、ムルソーは彼らの反応を屈辱だとも思っていない。
最終的に、法廷はムルソーに死刑を宣告する。牢獄のなかで、ムルソーは司祭から懺悔を為すことを勧められる。しかし、ムルソーはこれを拒否して、司祭を牢獄から追い出す。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
このシーン、ムルソーがキリスト教的道徳観から逸脱していることを強く示すと同時に、作者のカミュの宗教観が強く表れているな。