第十三幕 三島由紀夫『仮面の告白』




日本の文豪、三島由紀夫の代表作。

三島文学初期の傑作とされる。

三島由紀夫、そして日本の文壇にとってターニングポイントになったと言っても過言ではない作品っす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
大々的に同性愛をテーマに取ったことが波乱を読んだんだよな。日本の文壇に新しい風を吹き込んだ形だ。
主人公である「私」はその本名が語られないが、生い立ちなどを見るに、三島自身がモデルと言っていいっす。そのために、この小説は自伝小説と見做されているっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
三島自身は自分が同性愛者であるかどうかは、ついに明言しなかったが、この小説を読むに、その傾向があったことは否定できないな。
主人公の「私」は幼少のころから同性愛の傾向を自覚している。そしてその自意識が周囲から乖離していることも理解しており、その径庭に苦難する。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
小説の前半部分は「私」の同性愛的傾向について書かれるのだが、その書き方というものが、どこか自分を客観視していて、妙に分析的なんだよな。
自分とは異なる自分、すなわちペルソナを作り出して自己分析を行う。題名についている「仮面」の意味は物語が進むごとに変化していくんすけど、前半部分の「仮面」の意味はこのペルソナと見做して問題ないっすね。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
自己の分裂させて、自己を解析する。本物の「私」は同性愛に苦しむ少年であり、ペルソナの「私」はその自分を分析する医者だ。また、ペルソナの「私」が周囲に対する語り手の姿にもなっている。すなわち、同性愛者ではない自分が他人に接するときの「私」だ。これを仮面と呼ばずに何と呼ぼう。
ところがこの「仮面」は物語が進むごとに変化していく。少年期も終わりのころ、「私」は同性を性の対象としてではなく、「私」そのものになりたいという強い欲望を抱くようになるっす。精神医学の用語でいえば、「投射」っすかね? 詳しいところはわかんないすけど。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
「私」は憧れを抱いていた同級生に対し、彼そのものになりたいというさらに倒錯した羨望を持つようになる。この心境の変化は何なんだろうな?
自分の個人的な意見に過ぎないっすけど、これは「仮面」の肥大化っすね。それまで「私」は本当の「私」とペルソナの「私」を使い分けていた。ところが、この時期の物語を境に、この二つのバランスが崩れていく。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
つまりどういうことだ?
「私」が他人に見せる顔はペルソナでしかなかった。さらに本当の自分を分析するためにも、ペルソナを用いた。「私」はペルソナに依存しすぎたんすよ。本当の自分を解析するために、切り刻んでしまえば、当然、そのものは消滅してしまう。物語が進むにつれて、本当の「私」は擦り切れていってしまうんすよ。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
結果的に残されるのは、自分を演じているペルソナだけになる、って寸法か。
青年期に差し掛かるころには、「私」は演技をする自分しか残されていない。そしてその演技、つまりペルソナは仮初に作ったものであり、初めから存在していたものではない。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
ペルソナはまったく「私」の本質ではないということだな。ということは、何かしらきっかけがあれば簡単に変質してしまう。
そのとおりっすね。その結果が、性の対象である「彼」になりたい、という欲望っす。ペルソナは自分が他人に接するときの態度でもあるんすから、その見てくれをより良いものにしたいと思うのは当然のことっす。そして、そのより良いものとは、性の対象である男に他ならないっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
そういう意味で、「私」のペルソナは肥大化していくわけだな。
「私」はその人生で一切、女性と縁を持たなかったというわけではないっす。「私」の恋人役を演じるのは園子、という女性っす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
この二人の関係、「私」の自己分析の延長線上にあるようで気持ち悪かったな。「私」が女性に興味を抱けるか実験するために、園子をけしかけているようで……。
「私」と園子の関係性については、読者の数ほど意見があると思うっすけど、月子ちゃんの捉え方も大きく離れてはいないと思うっすよ。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
結果を先に言ってしまえば、「私」と園子は結婚することもなく離れていっててしまう。「私」が園子に対して欲望を抱くことがなかったからだ。
「私」と園子の関係は「私」の人生にとって致命的な傷を与えるっす。それまでも不釣り合いになっていた本当の「私」とペルソナの「私」の均衡が完全に崩れるっす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
「私」は園子といるときは、必ずペルソナの自分を演じなければならなかったんだよな。相手が女性だから、当然と言えば当然のことだが。さらには「私」が青年になるにつれて、周囲からますます「普通」の男を要求されるようになっていく。
その結果、ペルソナの「私」が肥大化、というよりも、ペルソナが本当の「私」を破壊していくことになるんす。本当の「私」は当時の社会規範によって曝け出すことは許されない。そのため、「私」はペルソナを被る以外の選択肢がなくなってしまう。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
そして、「私」の言動はすべてがペルソナになり、本当の「私」は実質的な消滅までに追い込まれるんだよな。まさに精神的な自殺だ。