第一幕 アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」



1954年度のノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家、アーネスト・ヘミングウェイの代表作。

ノーベル賞の受賞には、今作の貢献が大きいとされる。

玉置小絹
玉置小絹
読んだけどよくわからなかった。
そうっすか。意外と、この作品に対してそのような意見を抱く人は多いみたいっすね。どこがわからなかったんすか。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
どこが、というか全体的に? 一人の老いた漁師が大物を釣り上げるけど、結局はそれも台無しになってしまう、というだけじゃないか。
プロットだけを見ると、そうなるっすね。けれども、その「だけ」が重要なんすよ。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
どういうことだ? 平凡な毎日も時として牙を剥く的な?
その解釈はちょっと違うっすかね。と言っても、自分の意見だけが正しい解釈、とは断言できないっすけど。小絹ちゃんは何で『老人と海』について自分に質問するんすか?
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
へぇ? どういうこと? そりゃ、この作品について知りたいからだよ。
そうっすよね。小絹ちゃんはこの作品を理解したがっている。『老人と海』にはヘミングウェイの名を世界に知らしめただけの哲学が宿っていると考えている。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
月子の話が見えないぞ。『老人と海』には何というか、人生に役立つ教訓みたいなものがあるんじゃないのか? それともないのか?
あるかないかで言えば、無論、あるっすよ。ただ、その形は小絹ちゃんが想像しているものとはちょっと違うかもしれないっす。小絹ちゃんが『老人と海』について知りたがるのは、有体に言えば知識欲っすよね?
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
あ? んん? そうなるのかな? そんな小難しい言葉には似つかわしくないものだと思うが。
人間の知識欲、そこからさらに進んで知性は二十世紀初頭において、万能の道具だと考えられていたっす。特に、西洋でね。知性は発展をもたらす。知性は平和をもたらす。知性は裕福をもたらす。といった具合に。ところで、この『老人と海』が発表されたのは1952年。この時代に、この作品が書かれた意味はわかりますか?
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
二度の世界大戦が終結した直後だな。だが、『老人と海』に戦争の話は関わってこなかったと思うが? いわゆる、戦争文学とは違うのでは?
そのとおりっす。『老人と海』は直接、戦争と関係があるわけではない。けれども、事実として、二度の大戦を経験した世界がどのような状態に陥ったかわかるっすか? 先ほどの知性、という言葉と関係づけて。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
結局、知性は平等も平和も裕福も与えてくれなかった?
正解っす。それまで、知性は万能の道具だと考えられていた。ところが、実際は世界大戦という巨大な暴力がすべての知性を消し飛ばしてしまった。暴力の前では知性は無力だったんす。人には多かれ少なかれ知識欲がある。だが、二度の大戦はその脆弱性を晒け出してしまった。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
人間は考える生き物だろ。知識欲、お前が言うところの知性に頼ることができなくなったらどのやって生きればいいんだ? というか戦後の人々はどうやって生きたんだ?
この作品の肝はまさにそこっす。『老人と海』は知性が暴力に敗北した世界でどうやって生き延びるか、その指針を示したんすよ。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
サンチャゴのような生き方が戦後の人間の生き方だと? なんだか込み入ってきたぞ。もう、ずばっと『老人と海』が何なのか教えてくれ!
小絹ちゃんは短気っすね。本当はこういうことは自分で考えないといけないんすけど、まあ、ずばっと言ってしまいましょう。『老人と海』が示した生き方、それはすなわち「行動」っす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
行動。つまりどういうこと?
戦後の世界、知性では巨大な暴力に勝てないことが自明の理となってしまったす。人類には手痛いことに。だからと言って、自分たちはまだまだ知性にしがみつくか、あるいは知性とともに泣き寝入りを決めるべきだったすかね? ボブ・ディランじゃないすけど、時代は変わる、んすよ。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
お、音楽の話は得意だぞ。少し興味が戻ってきた。
いや、そこに食いつかれても困るんすけどね。とにもかくにも、知性を打ち負かされた自分たちには新しい生き方である「行動」というものが必要だった。物語の冒頭、サンチャゴは魚をまったく獲れない日々が続いていましたけど、弱音を吐いていたっすか?
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
いや、いつもどおり次の漁に出かけることだけを考えていた。
物語の中盤、巨大なカジキとの戦いのさい、サンチャゴは一度でも魚を逃げして自分が助かろうとしたっすか?
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
いや、徹頭徹尾、サンチャゴはカジキを釣り上げることだけを考えていた。
物語の終盤、ついに捕らえたカジキをサメの群れに食い千切られたあとにもサンチャゴは落胆していたっすか?
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
いや、やっぱりいつものように生活して、次の漁に出ることだけを考えていた。
そこに『老人と海』の神髄があるっす。現実がどれほど暴力的であろうと、理不尽であろうと、人間にはそれに向かい合わなければならない理由があるっす。人は確かに知性を持っている。しかし、同時に肉体も持っている。暴力に知性が屈しても、肉体までもが屈する理屈はない。世界に対して肉体を持って挑む、これがヘミングウェイの示した新しい生き方であり、自分の言う「行動」っす。
小澤月子
小澤月子
玉置小絹
玉置小絹
なるほど、わかったようなわからないような。けれども、その、肉体をもって現実と取っ組み合う姿は泥臭い勇気と言っても差し支えはないんだな?
そうとも言えるかもしれないっす。
小澤月子
小澤月子